2012年1月11日水曜日

1/11 私の大学時代(「寮弁」と阪神大震災)

ひとつ前のブログで、20代の頃の話をしましたので、私自身の大学時代の様子について少しご紹介します。
   
私は、長野生まれ、静岡県・愛知県育ちですが、大学の4年間は兵庫県で過ごしました。神戸女学院大学という静岡英和学院大学と同じ系列のキリスト教(プロテスタント)の学校で、大学の敷地内にある寄宿舎(寮)に住んでいました。
      
学年が上がるにつれ、寮を出ていく人もたくさんいましたが、私は4年間ずっと、2~4人部屋で、学年、学科、出身地、生活習慣が違う人たちと寝・食・お風呂を共にし、毎日が修学旅行のような日々を過ごしました。
    
大学の寮は3つあり、100~150人くらいが生活していたような記憶があります。朝は、7時に全員で食堂に集まり、キリスト教方式で「食前の祈り」をしてから朝食です。
お昼は、おそろいの赤いお弁当箱(下の写真)を事前に出しておくと、11時過ぎに「寮弁(寮の弁当)」を作ってもらえます。夕食は17時半に用意され、各自で食前の祈りをして自由にとります。1年生の頃はアルバイト禁止で、事前に外出の届け出(理由を記載)をしておかない限り、19時が門限。水曜日は寮の礼拝があり全員絶対17時半が門限でした。
寮の食事は、もちろん管理栄養士さんが考えて下さっていて、すべて手作りでした。上の写真は、大学の授業の合間(お昼休み)に、寮にお弁当を食べに帰ってきて、食べかけのところです。この弁当を学食に持って行って、自宅通いの友人たちと食べるということもしました。寮生の特権の「寮弁」、寮生の間ではダサイとか地味などと言われましたが、寮生以外からは人気で、食べさせてほしいという友人も多くいました。
        
煮豆、魚、ほうれんそう、れんこんの天ぷら、ごはんです。栄養バランスがよく、カロリー計算もされています。でも、育ち盛りの学生たちは、これでは全く満足できず、いっぱいお菓子、カップラーメン、ポテトチップスなどを買い込んでいました。
    
「毎日が修学旅行!」と楽しく超厳しい寄宿舎生活を送っていましたが、1995年1月17日朝6時前、阪神大震災がおきました。大学の地域は震度は6~7でした。
        
下の写真(カメラの日付は間違っています…)は、私が住んでいた4人部屋の様子です。寮生全員で避難した後、余震の中、上着や靴下などの防寒具をとりに戻ってきた時に撮った写真だと思います。
余震におびえ、寒さに震えながら、冷静に写真をとっていたようです。地震が昼間だったら、棚の下敷きになっていたと思います。
3つの寮のうち、一番古いレトロな寮は、中も外も半壊。友人によると、寮内の階段の壁は崩落していたらしく、2階の住人たちは滑り台を滑るようにして避難したそうです。私が住んでいた寮でも、台所からガスがもれはじめたため、普段使っている外への脱出ルートが断たれ、本当に怖い思いをしながら非常口の扉を破って逃げました。


しかし、常日頃から寮の先生2人と寮長3人が、寮ごとに部屋・班の単位でまとめていたため、ものすごい勢いで脱出し、寒空のグラウンドですぐに点呼を行い、全員の無事を確認できるという素晴らしい行動力とチームワークでした。毎晩22時に点呼し、いつも避難訓練を行っていたこともよかったのでしょう。東日本大震災でも、ある地域の中学生と小学生が自主的に避難し全員が無事でした。まったく同じです。


もうすぐ1月17日。毎年この時期になると、心がワサワサ、ドキドキ、ハラハラとして落ち着きません。しかし、怖さ、悲しさだけでなく、たくさんの方々に助けていただいたことも心に深く深く刻まれています。


私をはじめ阪神大震災にあった人たちは、東日本大震災で被災された方たちに、恩を返しをしたいと思っています。たくさんの大切なものを失ってしまったと思いますが、みんなの心と行動で、ぽっかり空いた穴を少しずつ埋めていけたらいいなと思います。


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